隻手(せきしゅ)の音声(おんじょう)

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隻手(せきしゅ)の音声(おんじょう)

今年は駿河の生んだ名僧、白隠禅師の250年のご遠忌の年で、今月11日に妙心寺で法要が行われます。
白隠禅師は「両掌(りょうしょう)打って音声(おんじょう)あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」
「両手を打つと、音が響く。片手では、どんな音がするか示せ」と修行僧に問います。  
隻手とは、片手のことです。片手では、音は出ません。その片手の音を示しなさいというのです。
私たちは日常「思慮分別」を働かせて生きています。思慮分別は人が人として生きていく上で絶対不可欠のものであり、この分別があってこそ社会は成り立っているのです。しかし、禅はそんな最も大切とされる「分別意識」こそ問題だと捉えるのです。それは私たちが生まれてからのちに学んだ価値観です。一種の「こだわり」です。そのこだわりによって悩んだり苦しんだりするのです。これを「迷い」と言います。
白隠和尚は、私たちを日常的な判断や思考、思慮分別を超えた迷いのない世界に導いているのです。いくら耳で聴こうとしても、不可能です。頭で考えても答えは出ません。「隻手(せきしゅ)音声(おんじょう)」に、何か意味ある答えは無いのです。理屈や分別に固執しているうちはダメだと示しているのです。文字や言葉、損得、良し悪しを超えたところに、真の安心(あんじん)の境地が開けるのです。

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今年は駿河の生んだ名僧、白隠禅師の250年のご遠忌の年で、今月11日に妙心寺で法要が行われます。
白隠禅師は「両掌(りょうしょう)打って音声(おんじょう)あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」
「両手を打つと、音が響く。片手では、どんな音がするか示せ」と修行僧に問います。  
隻手とは、片手のことです。片手では、音は出ません。その片手の音を示しなさいというのです。
私たちは日常「思慮分別」を働かせて生きています。思慮分別は人が人として生きていく上で絶対不可欠のものであり、この分別があってこそ社会は成り立っているのです。しかし、禅はそんな最も大切とされる「分別意識」こそ問題だと捉えるのです。それは私たちが生まれてからのちに学んだ価値観です。一種の「こだわり」です。そのこだわりによって悩んだり苦しんだりするのです。これを「迷い」と言います。
白隠和尚は、私たちを日常的な判断や思考、思慮分別を超えた迷いのない世界に導いているのです。いくら耳で聴こうとしても、不可能です。頭で考えても答えは出ません。「隻手(せきしゅ)音声(おんじょう)」に、何か意味ある答えは無いのです。理屈や分別に固執しているうちはダメだと示しているのです。文字や言葉、損得、良し悪しを超えたところに、真の安心(あんじん)の境地が開けるのです。
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